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花織といえば、読谷山、首里、与那国の花織が思い起こされるであろうが、知花花織とは、戦争やその他の要因で途絶え、幻の織物とされてきた、かつての間切(まぎり)、美里間切で興(おこ)った織物である。約百年もの間、その手わざが伝えられることはなく、その織物を知る人も、現存する織物も殆どないという状態で、平成11年から準備委員会が発足し、地道な聞き取り調査、データ収集が行われ、平成12年からは本格的な復元作業が行われてきたのだという。 |
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知花花織復元作業所は、かつてコザと呼ばれた繁華街からは離れた場所にあった。一見したところ外からではここに工房があるとは分からない。窓ガラスに張られた銀色のフィルムが秘密めいた感じさえ起こさせる。 |
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幸喜新(こうきしん)さん。知花花織復元作業所で研修生の指導にあたる、沖縄市の商工労政課の方である。幸喜さんは琉球大学の大学院生のときに研究テーマとして知花花織を選びだす。出身地である沖縄市にあったとされる織物について調べたいという思いから、知花花織に関わることになったのだという。 |
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