「自分の作品ってすぐわかるんですよー。」 元気な声が響き渡る。大きな目をくりくりさせながら表情豊かに話す。金城やよいさんだ。八重山ミンサーを織っている方だ。高校卒業後、東京の会社で事務員をしていたが、石垣島に戻ってきた。母親が織り子養成の講習を受講していたことがきっかけとなって織物に関わることになったという。 ミンサーとは、綿挟という意味を持つ言葉で、綿で出来た狭い帯、というのがミンサー帯であるというのが定説である。与那国や読谷、石川など、地方によってその特徴は少しずつ違うようだ。 経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に木綿糸を用いる。整経(せいけい)し、絣括(かすりくく)りを施した糸を藍や他の植物染料で染色した後、丁寧に絣をといてゆく。その後、カチタミと呼ばれるのりばりなどを経て、糸を準備した後製織していく。 八重山ミンサーに用いられる5つと4つの絣模様は、「いつよ」の模様とされ、「いつ(五)の世(四)までも末永く」という願いが込められている。二つの柄を重ねると、お互いに補い合い、一つの正方形になることからその強い絆(きずな)を表しているという意味もあるようだ。縁(ふち)にこまかく織り込まれた模様は、通い婚であったその昔、「ムカデの足のように足繁く私の元へ通ってください」という娘の願いが込められているのだという。 「ミンサーを織るのは楽しいです。」 金城さんははっきりとそう言う。図柄を考えるのも楽しい。その作業の方が織りより余計に神経を使うし、好きなのだそうだ。自分の顔が見えるような作品を作ることを心がけている。くるくると変わるその表情からは織りの楽しさが伝わってくる。 そうはいっても楽しい時ばかりがあるわけではない。精神面が織りには確実に表れるから、不安定なときは織らないことにしている。そんなとき織ってもいいものは出来ないと今までの経験で分かっているからだ。家でやる仕事だからそのペースは自分でつかむことが出来るのが手仕事の魅力でもあるが、それゆえに大変なことも少なくはない。 「いつかは上布を」という気持ちもある。でもまだまだですね、あははと笑い飛ばすものの、時折見せる眼差しは真剣だった。
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