読谷山花織1
読谷山花織イメージ画像
新垣隆さん

読谷と言えば何が思い出されるだろうか。やきもの、紅イモ、基地、城跡などなど。ざっと思い浮かべるだけでもかなりの数がある。それでもやはり名高いのは読谷山花織であろう。そうはいっても、私自身の経験では、読谷の織物といえば、コースターやテーブルセンターしか見たことがなかったから、一体どういう織物なのか想像が出来かねていた。
 新垣隆(あらかきたかし)さん。読谷山花織事業協同組合の理事長を務める方だ。現在組合員は170名あまりいるが、実際動いているのは140名くらいだという。ここ伝統工芸センターでは、毎日のように後継者養成の研修生たちが数多くつめている。私が訪ねたその日も、研修生達は糸を整えているところであった。この工房の他に、楚辺(そべ)、宮平(みやひら)、座喜味(ざきみ)の方にも20名から30名が作業できる工房を持っている。多くの組合員は40代の主婦ということもあり、都合に応じて各々が家から近い工房に通うことができるのだという。
 読谷には多くの沖縄の工芸がある。最近では、やきものや、琉球ガラス、紅型など、様々な作家が、読谷という場所に集い始めている。
「読谷を見れば、すべての沖縄の工芸に触れることが出来る。」と新垣さんは言う。行政側とタイアップして取り組んでいかなければ、読谷山花織も復興はむずかしかっただろう。昭和39年にこの読谷山花織は、與那嶺貞(よなみねさだ)を中心にした女性達の手によって復興されることになる。
 読谷は、人間性豊かな環境文化むらづくりに力を入れているのだという。それだからできることなのだろう。
「だからうちは年中無休。土・日・祝祭日も開館している。いろんな人達に見せてあげなければならない」
と新垣さんは襟(えり)を正す。


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新垣澄子さん
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 読谷山花織を織っている方を、と紹介してもらう。新垣さんはその時何も言わなかったが、後のお話から、新垣さんの奥様であることが分かった。
 染色をしても思うようにいかない。理論が分からない。それでも自分が思うように織ってほしいとの思いから、新垣さんは奥様の新垣澄子(あらかきすみこ)さんを織の世界へと引き込んだ。織物に関わることになって20年ほどになるのだという。「外の色を見てこい」と、多いときには年に20回以上も外へ勉強に遣(や)られたのだという。新垣さんはそのための努力は惜しまなかった。子育てで忙しいときにも織りの勉強は続けさせた。自分にそのしわ寄せが来るのは承知の上である。「だから子守は誰よりも上手ですよ」と澄子さんは陽気に笑う。
 地機(じばた)も私の一つの節目だった、と語る。今でも何かイベントがあるときに地機をふむこともある。でも地機は合理的ではないからね、と言う。「たてに長いため場所をとるし、疲れるんですよ。」と。飾られている写真の中に、地機を扱う澄子さんの姿があった。「日々勉強です。」地機から高機へと時代が移り変わる中で、原点に立ち返ってそれを一から勉強し直すことで、また新たな織りの地平が見えてくるのだろう。


 工芸指導所が近いという理由から那覇に移り住んだこともあった。それもすべてさらなる織りの技術を学ぶためだった。沖縄と本土の色は違うから、と、とにかく隆さんに外へ外へと出されたのだという。外の色を見ることで違いが分かってくる、と隆さんはそう言っていたのだそうだ。
「若かったからね、恋しに行ってたかな」
と意味深な笑顔がこぼれる。


読谷山花織イメージ画像
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 澄子さんは伊是名(いぜな)のご出身だ。島には高校がないため、中学校を卒業すると本島の方へでなければならない。読谷には親戚が集まっていたので、そこへ出ることになったのだという。小さい頃から織物に慣れ親しんでいたのかと思ったらそうではないらしい。
「離島だと何もかもつくらなきゃならないから。道具作りは父から学んだのよ」
とまゆをしかめながら小声で言う。そのくるくる変わる表情にどんどん引き込まれていく。
「親父がね、綱(つな)を編んだりするから、そういうのは小さい頃からやってたの。」
サトウキビを束ねる綱や、年中行事に使われる綱、綱は綱でもその編み方は用途によって大きく変わってくる。使い途に合わせて多様な編み方があることを父親から学んで知っていたのだそうだ。「織をやるようになってからは、あれ、これどっかでやったな、って思うことが度々あって」記憶は後の手仕事へと、すなわち織りへと自然につながってゆく。
 半農半漁の家だったから、と当時を懐かしそうに思い返す。「家の仕事は母に、道具作りは父に習った。今となってはかけがえのない宝物ですね」
流行歌よりも民謡に親しんだ子供時代、その民謡の中には教訓的なものもあって、今でもはっとすることがあるのだという。ものづくりが当たり前、そんな家に育ったのだった。
 今でも潮が引くと海に出かける。海にはたくさんの宝物が落ちているのだという。「たこなんか買ったことないですよ。」とびっくりするようなことを言う。ネギなどの野菜も買わずに庭先で作る。そういう姿勢もすべて、幼い頃に学んだこととわかちがたく結びついている。

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