琉球びんがた1
琉球びんがたイメージ画像

 取材のアポイントメントを取るときはいつも兎角(とかく)緊張する。電話だと顔が見えない分、向こうの声色を伺いながら、それだけを頼りに日程や時間を調整しなければならないのだから余計に神経を使う。何度やっても一向に慣れない。きっとこれからもずっと慣れることはないのだろう。電話を切った後は毎回必要以上に疲れ果てるのだ。
 琉球びんがた事業協同組合に紹介してもらった工房へと電話をする。電話の向こうはもちろん未知の方である。いつものように声はうわずり、ぎこちないながらも、割とスムーズにokをもらうことができた。そのやりとりが今までとは違っていたから、私は二日後に設定された取材の日を心待ちにしていた。


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型置き 糊をおいているところ。
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 琉球紅型は15世紀に興ったとされる、沖縄の伝統的な染め物である。紅型の語源には諸説あるが、一般に「紅(びん)」とは色をさし、「型(がた)」とは模様をさすのだと考えられている。その技法には型付けと筒描きとがある。筒描きとは、型紙を用いずに下絵を描き、糊を入れた袋の筒先で糊を置いたあとに色をのせていく技法である。型付け、筒描きはともに、綿や絹、芭蕉、麻などの布に、鉱物顔料や植物染料をさしていく。植物染料は主に琉球藍とフクギが用いられる。顔料やこれらの染料を混ぜて、様々な色をつくりだしていく。
紅型作りにはルクジューと呼ばれる豆腐を2ヶ月間陰干ししたものを用いる。その上に型紙を置き小刀で突き彫りするのだという。これを使うと切り跡が残らないのと、小刀は大豆の油で錆びないのだという利点がある。
 紅型は琉球王府の保護のもと、世襲制で伝承されていくが、1879年、王制の廃止により次第に衰退の一途をたどる。さらに第二次世界大戦・沖縄戦によって壊滅的な打撃を受けるが、戦後の焼け野原の中から、城間栄喜(しろまえいき)らの尽力によって復興されていく。


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安里和雄さん

 宜野湾市にある沖縄国際大学の近くにその工房はあった。朝早い方がいいな、みんな朝は元気だから、という安里びんがた工房の安里和雄(あさとかずお)さんの申し出により、取材の時間は朝に設定されていた。職人は朝が早い、という定説はどうやら本当らしい。
 住宅街の中の、そのまたさらに奥にある工房を訪ねる。入り口からすぐの作業台では女性が熱心に筆を動かしていた。見渡すと、工房の中には何名かの方が動いているのが目に入る。細長い部屋には一反の布が張られ、二本の筆を器用に交互に用いながら作業している。また、別の台では、糊(のり)を布におく男性や、図を見ながらのれん地に色をさす女性。各々の持ち場が決まっているようだ。所狭しと置かれた道具や台の間に安里さんは立っていた。方々(ほうぼう)から先生と呼ばれ、少し照れくさそうにしながらも、どうぞ、と私を招き入れてくれる。

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