与那国織1
与那国花織イメージ画像

 那覇から与那国島へ向かうプロペラ機は、強い風を受けるたびに激しく上下し、その小さな身体を振るわせる。石垣島を経由するジェット機だとこの揺れも回避できたであろうに、プロペラ機を選んだのはただの思いつきだったから、離陸してすぐに後悔した。それから一時間半もかなりの揺れにやられることになろうとは思ってもいなかったのだ。
 ようやく気分も落ち着いた頃、外を見やると濃さを増した海がゆらゆらと広がっている。与那国島だ。飛行機の窓にはりつくようにして視界に入り始めた島を眺める。海に向かって険しく切り立った岩壁と白々とうねる波濤(はとう)が、島を護るようにぐるりと巡っている。大分強い風が吹いているようだ。



 那覇よりも南だからと、薄着をした私を嘲笑(あざわら)うかのように風が身体の奥まで吹き付けては、体温を事も無げに奪っては海の方へと抜けていく。昔はこの風で船は容易に島に近づくことが出来なかった。方言で与那国のことをどなんという。「渡難」と漢字があてられるのも困難だった船旅を表しているのだろう。この紺碧(こんぺき)の海に四方を囲まれた孤島に生きる人々の暮らしとは一体どういうものなのだろうか。
 与那国島は日本の最西端に位置し、台湾まで128キロの国境の島である。小さな島の中には伝統文化がひしめきあい、伝統行事の数々は今もなお厳粛に執り行われている。その昔は他の島々同様、人頭税に苦しんでいた。その名残を今も伝えるのが久部良バリや人舛田(とうんぐだ)である。バリとは方言で割れ目のこと。底まで何メートルもある深い割れ目を、妊婦に飛ばせて人減らしを行ったという。人舛田も重税のため村人を惨殺したという哀しい言い伝えが残っている。



 ふらつきながら到着ロビーを出ると、「朝の経由便は欠航したんだよぉ、あんた運が良かったさぁ」、と島の人が声をかけてくる。勘が働いたのだろうか。プロペラ機を選んだことがとてつもなく幸運だったことに思えてきた。
 朝。風は嘘のようにやみ、空はさらに青く、高く晴れ渡っている。海はまるで穏やかな顔つきだ。道向かいから、子供が駆けてくる。その痛いほどに澄んだ風景だけを目の奥に残して、一瞬何も聞こえなくなる。


与那国花織イメージ画像
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 「何してるか」と少女が飛びついてきた。連れだって工芸館へと向かう。中へ入ると途端に機(はた)の音がぱたんぱたんと上の方で聞こえ出した。与那国町伝統織物協同組合の理事長である三蔵順子(みくらとしこ)さんが出てきて二階へと案内してくれた。洗濯された布が少女の頭の辺りで風に揺れている。奥の方にこちら側に背を向けて黙々と手を動かしている女性がいた。
 崎元徳美(さきもとさとみ)さんだ。図案を見ながら糸を数えているところだった。簡単に取材の主旨を説明し、いざインタビューという時になって、崎元さんの下の名前が読めない。おそるおそる伺うと、「さとみ」と読むのだという。
「名前は母方の徳吉という姓から徳という字をとったの。当て字みたいなものだから誰も読めないのよ。島名は屋号からとったんだけどね」
今でも与那国には島名といって、島での呼び名を付ける慣習がある。その付け方にはややこしい手順があるのだと聞いたことがある。島の生活には伝統や古い言い伝えが今も息づいていて、訪れる者はそのことにまず驚く。今や古いものを排除し、新しいものを手に入れることに躍起(やっき)となる時代の風に吹かれ慣れた人々にとっては新鮮に感じるのだろう。


与那国花織イメージ画像
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 現在組合には50名ほどの登録者がいると言うが、実際動いているのは半分くらいだという。与那国では後継者の問題はないのだろうか。尋ねると、「今のところ大丈夫」という返事が返ってきた。後継者育成の講習があるが、申し込みをしてから研修生になるまで何年待ちになるのか分からないほどだという。本当にそうなのか。まだ疑問を払えずにいる私に「与那国は糸を紡ぐことはしないから」と続けた。なるほどこれには私も納得せずにはいられなかった。すぐ染めから入れるのは織り手の負担が少なくて済む。糸は今では本土から仕入れているが、昔は違っていたようだ。「昔は蚕(かいこ)を家で養っていたよ。学校も休んで蚕の餌の桑の葉をとりに山に入ったものさ。家には機があったからね。」、と与那国生まれの父が懐かしそうに話していたことを思い出す。
 現在、与那国で生産される織物の79%が絹で残りの21パーセントが綿だという。
「絹の方がどうしても商品価値が高いから。綿はね、自分たちが着るものくらいかな。」同じように手間暇(てまひま)がかかるのなら高値で取り引きされるものを織った方が産業の発展につながることは言うまでもない。
 与那国花織は絹糸で織られる、緯浮(よこうき)花織である。島で採れる草木で染めた糸で花柄が織り込まれていく。裏に浮き糸は出ない。裏の方がより光沢があるように見えるので、どうしてか尋ねると、織っている間に摩擦(まさつ)で磨かれているのではないかとのことだった。糸の時と布になった時とでは表情が確実に違って見えてくる色や花の数々。実に清楚な佇(たたず)まいの織物である。

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