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ドゥタティは与那国島には欠かせない織物である。素材は綿が一般的だが、その昔は苧麻(ちょま)を用いたのだという。一見ギンガムチェックにも見えるが、島の伝統柄だ。この涼しげな着物は、一反の着尺から二着分とることが出来る、合理的な野良着であった。今では島の伝統行事や棒踊りの衣裳などに使用される。また、わずかではあるが、普段着としてドゥタティを取り入れている人もいる。数年前、役場の方針で、課長以上の着用が義務づけられた。次第に見かけなくなったと言うが、私は二度ほどドゥタティで仕立てられた背広を着た人を見たことがある。蒸せるような夏の暑い日、なぜだかその周りだけ涼しげな風が吹いているかのようだったことをよく覚えている。作家の澤地久枝(さわちひさえ)がサミットで各国首脳にドゥタティを着させたかった、とその著書で語るように、ドゥタティは南の島の風土ゆえに生まれ出た織物であるとつくづく思う。しかしながら、この機能的な布は島外へ出荷されてはいない。需要に供給が追いつかないのだ。「一家に一枚、という感じですか」と聞くと、徳美さんは一瞬きょとんとした顔をしたが、首を振ると、「島の人は一人一枚は必ず持っているはず」と言った。島ではポピュラーな織物なのだ。 | |||||
| 徳美さんは、沖縄本島で高等学校を卒業した後、夜は大学の商科で学び、昼間は機織りにいそしんだ。県の工芸指導所に学び、島に帰り、与那国織に関わるようになった。それから十四年になるのだという。与那国織が取り上げられる際には必ず若手代表として名前があがる。検査員という肩書きもある。使命感みたいなものががあるのかと問うと、「やんなきゃいけないと思うんなら途中でやめてる」と笑顔で答えた。気負いがないわけではないだろうが、そういったものを振り払おうと、一途に背筋を張って織物に向き合っている姿が美しかった。好きだからやっているのだという感じがまっすぐにこちらに伝わってくる。取材の間もずっと手を動かし続けている。糸を見つめる目線を時折あげては私の目を見て真摯(しんし)に答えてくれる。「この人の創ったものが見たい。」強くそう思った。お願いすると、すぐに家から持ってきてくれるとのこと。 | |||||
| 階下では組合員の方々のお茶の時間が始まっていた。三蔵さんがどうぞと声をかけてくれる。徳美さんを待っている間、輪の中に入れてもらいながらも、そばにある機にかけられた糸をしげしげと見つめる。少女が一所懸命背伸びをして手元をのぞきこんでいる。糸も布も西日に照らされてきらきらしていた。 持ってきてもらった布を一枚ずつ広げていく。途端にあたりの空気が変わる。島の草木の優しい色で染められ、織り上げられた布達は、西日のさしかけた窓の側の木の影を映し込んでやわらかな光沢を放っていた。微妙な色加減で私の前に差し出されたそれらの布は清々しかった。凛(りん)とした徳美さんの横顔が重なって見えるようだ。布は織り手のさまざまな思いを色濃く映し出すのだろうと思う。ダチンバナ、イチチンバナ、と数を変えては織り込まれた小さな花々の花びらの中には島の女たちの様々な祈りが込められてきたのだろう。 |
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