読谷山ミンサー1
読谷山ミンサーイメージ画像
ミンサーを織る真壁節子さん

 読谷のミンサーを見る機会に恵まれた。これまで噂には聞いていたものの、目にすることのなかった織物である。これまで巡ってきた他のミンサーとどのように違うのか、楽しみであった。
 ミンサーを実際に織って見せてくれた真壁節子(まかべせつこ)さんは、読谷の織物の検査員を務める方である。笑顔のすてきなやわらかな語り口の方である。検査員になってから2年になるのだという。
 真壁さんはもともと那覇市小禄(おろく)のご出身だ。結婚して読谷に来ることになったのだという。それまでは織物に興味はなかった。読谷に住み始めてからはじめて読谷山花織の存在を知ったのだった。
 昔の読谷はあまり産業と呼べる産業もなく、真壁さんは、仕事のため沖縄市まで通っていたのだという。
「あのころの沖縄市は都会でしたから」
そう当時を振り返る。そのころの沖縄市はコザと呼ばれる繁華街であったから、仕事はたくさんあったのだろう。産業のない読谷から遠い沖縄市へ通うのもごく自然な、仕方のないことだった。しばらくはその仕事に就くが、読谷村で花織の後継者養成の募集があることを知り、それに応募したことがきっかけとなり、読谷の織物に関わることになる。それから20年くらいになるのだという。


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読谷の織物にたずさわる方のほとんどが40代の主婦だという。出産や育児、家庭の事情もいろいろ関わってくるだろう。それでもやってこれたのは織物という、自分のペースで進めることの出来る仕事であったからにほかならない。
「趣味的に始めた仕事だから大変ではない。大変だと思っていたらやってこれなかった。楽しくやらないと、あと、根気がないとだめですね。」
と話す。
織りにかかわる人から口々にこぼれるのは、根気という言葉である。
糸を染め、下準備をし、織りの体勢に入るまでのその時間の長さ。そして実際に織りに入ってから持続し続けなければならない緊張感。まさに根気の要る仕事である。それを大変だと思っていたらこの仕事は続けられない。きっとそういうことなのだろう。

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