読谷山ミンサー2

 読谷山ミンサーの歴史は、読谷山花織とほぼ同時期であるとされる。その昔、南方との結びつきが強かった琉球の歴史を背景に、様々な織物が読谷に伝わり、のちに独自の技法を生み出してこの地に栄えることとなる。


読谷山ミンサーイメージ画像
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 ミンサーの魅力は柄を自由に組み合わせて、いろいろなスジを加えていったり、伝統柄と新しさをミックス出来るところだという。
「基本の柄を現代風にアレンジし、自分の作品を作れますから。」
展示会を見に行ったりすることもある。そういうこともすべて勉強なのだ。自分だけのオリジナルな作品をつくりだすことに欠かせない勉強なのである。


 ミンサーは、一日に約50cm織り進める事が出来るという。大体一週間に一本の割合でミンサー帯を織り上げる。3メートル75センチの帯。話を伺っている間も織って見せてくれている。絣の柄は他のミンサー織同様、5つと4つの組み合わせで織り込まれ、「いつの世までも末永く」という意味をもつ。両端の模様は「ムカデの足のように足繁く私のもとへおいでください」という織り手の願いが表現されているのだという。竹串で経糸を浮かせ、たてうね織に紋様を織り出していくのが読谷山(よみたんざん)ミンサーの特徴である。基本はいつよの模様であるが、必ずしもそうではないらしく、実際織って見せてくれたのは、魚の模様であったり、右と左で色を違えて織られた模様であったりと、大分アレンジがきいているものであった。
 何度も、どんどんどん、と筬(おさ)うちをする。やはり着尺を織るのとは訳が違う。まず音が違う。とんとんとん、と慣れ親しんできた筬の音は、どんどんどんと荒々しく表情を変えていた。ぎゅうぎゅうに織り込まれていく木綿糸も太くて力強い。そのとき機にかかっていたのは化学染料で染められた糸。聞くと、染め上がったものを仕入れているのだという。色糸は鮮やかで、草木染めとはやはり大分違っている。くっきりとした色が人気なのかもしれないが、草木染めに慣れ親しんできた私には少し物足りなさが残った。今度は草木染めで織られるミンサーを見たい、と希望を次につなげたのだった。


読谷山ミンサーイメージ画像
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真壁節子作

 一月に検査にあがってくるのは、帯が60本、テーブルセンターが200本。後、コースターなどのこまごました小物類が300くらいだという。「検査するものが全くない日もあれば、いっぺんにどどーんと来る日もある。予想もたてられないし、こればっかりはどうしてもね。」と真壁さんは笑う。
織り手のペースが揃わないのは当たり前のことであるからばらつきがあるのも仕方がないのだ。それもすべて手仕事ゆえのことなのだ。
 取材に行ったその日も、何人かの女性が組合を訪れていた。糸を手にしているのが見えたので、家で織るのですか、と尋ねると、そうだという。組合で糸を手に入れて、あとは家で自分なりのペースで織り進めるのだろう。織り手によって違いの出るミンサーだからこそ、そうやって一人一人の作るものに味が出るのだ。どういう人がどういう作品を生み出していくのか、興味は尽きない。手わざはこういう人たちに支えられ、伝えられていくのだ。
 その日、真壁さんが織っていたのは、魚の柄を白く浮かせ、様々な色のスジを織り込んだ、色鮮やかな赤いミンサーの帯であった。端の色はわざと左右で違えてあるのだという。陽気な様子が見えかくれしている。作品は鏡のように如実(にょじつ)に織り手を映し出すのだ。

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