読谷山ミンサーの歴史は、読谷山花織とほぼ同時期であるとされる。その昔、南方との結びつきが強かった琉球の歴史を背景に、様々な織物が読谷に伝わり、のちに独自の技法を生み出してこの地に栄えることとなる。 |
|||||
|
ミンサーの魅力は柄を自由に組み合わせて、いろいろなスジを加えていったり、伝統柄と新しさをミックス出来るところだという。 |
||||
ミンサーは、一日に約50cm織り進める事が出来るという。大体一週間に一本の割合でミンサー帯を織り上げる。3メートル75センチの帯。話を伺っている間も織って見せてくれている。絣の柄は他のミンサー織同様、5つと4つの組み合わせで織り込まれ、「いつの世までも末永く」という意味をもつ。両端の模様は「ムカデの足のように足繁く私のもとへおいでください」という織り手の願いが表現されているのだという。竹串で経糸を浮かせ、たてうね織に紋様を織り出していくのが読谷山(よみたんざん)ミンサーの特徴である。基本はいつよの模様であるが、必ずしもそうではないらしく、実際織って見せてくれたのは、魚の模様であったり、右と左で色を違えて織られた模様であったりと、大分アレンジがきいているものであった。 |
|||||
|
一月に検査にあがってくるのは、帯が60本、テーブルセンターが200本。後、コースターなどのこまごました小物類が300くらいだという。「検査するものが全くない日もあれば、いっぺんにどどーんと来る日もある。予想もたてられないし、こればっかりはどうしてもね。」と真壁さんは笑う。 |
||||
◆紀行文メニュー 与那国花織 | 八重山上布 | 八重山ミンサー | 宮古上布 | 久米島紬 | 琉球びんがた |