琉球びんがた2
琉球びんがたイメージ画像

 安里さんは本島で生まれ、石垣で育った。絵が好きだったので、それを生かせる仕事をと探していたら、紅型へいきついたという。
「お金がないとごはんは食べられないからね」
絵をやっていきたかったが、それだけでは金にならないことが分かっていた。少しでもお金になる仕事を、と、紅型の世界へ足を踏み入れることとなった。当初はあまり紅型への思い入れはなく、「これで食えたらいいなぁ」くらいの気持ちで、気負いはなかったという。
「自分は自分なりにやってればいい。マイペースで。」
という思いは今も強い。特に影響を受けた作家はいないという。展示会などは見に行くが、目指してもその人にはなれないことが分かっているから、と話す。そうはいうものの、きっとそういう場で得たものは確実に安里さんの糧となっていることだろう。勉強熱心なのは工房内に設置されたパソコンからも伺える。新しいものを受け入れ、それが紅型の発展につながればいい、そういう風にもみえる。
「買ったんだけど、どうもうまく使いこなせないんだよね。」
いつか安里さんのホームページにネット上でお目にかかれる日がくるのだろう。


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「伝統も大切だけど、だめなものは改善して行かなきゃいけない点もあると思う。昔は昔、今は今。それを受け入れながらよりよいものを作って行かなきゃだめ」
と強く語ってくれた。先に紹介したルクジューも、この工房では、使わないときのその扱いが難しいことから今ではもう使用していないとのことだった。
話すテンポがいい。明快だし、ユーモアにあふれている。


 琉球王朝によって守り、育てられてきた琉球紅型。その工房の多くは今もなおかつての城下町・首里に集まっている。安里さんが弟子入りした紅型工房も首里にあったという。だが首里に工房を、とは、考えたことはない。ごく自然な流れでここに工房を持つことになった。


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作品を広げる安里さん
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安里さんの作品

 「昔は若さはあるけど金がなかった。
 今は金は少しあるけど若さがない。」
そう言っていたずらっ子のように笑う。
だから挑戦ができないさ、とでもいうのだろうか。決してそんなことはないのだということが、先程からのやりとりで分かっていたから、安里さんの作品をどうしても見たくなったのだった。
 黄色いグラデーションに染められたのれん地に勢いのある龍が描かれている。紅型の魅力といえば、なんと言ってもその色のあでやかさである。はっきりとした線で描かれた龍の力強さと、目の鋭さに安里さんをかさねた。
お会いした当初から感じていた安里さんの勢いのようなものがそこには確かに表れていた。電話の向こうに聞こえた声の表情から、私はすでにそれに気づいていたのかも知れない。だからこそこの日を楽しみにしていたのだろう。作品からは安里さんのパワーが伝わってきた。色鮮やかに染め抜かれた花や鳥にもその力が宿っているかのようだ。
 インタビューしている間も、工房内にくすくすと笑い声が聞こえる。安里さんの受け答えに作業している人たちもみなうれしそうだ。先生と弟子、というよりも、仲間といったほうがしっくりくる。そんな関係が伝わってきた。
 紅型という、王室だけに許された、その昔は三つの家しか家業として認められなかったその伝統を重んじる世界に生きる。意外にもそこには新しいことにチャレンジしている人たちがいた。淡々とした語り口の中にも、目が鋭く光る瞬間がある。
これからもいろんな新しいことに挑戦していきたい、安里さんの作品からはそういう意気込みが伝わってきたのだった。

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