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幸喜さんの話によると、裏地には読谷の場合多くは黄色い紅型が用いられるのに対し、知花花織は紺や緑の裏地が付けられていることが多いのだという。知花は知花なりのしるしを裏地にしろ、他の方法にしろ、さりげなくつけておいたのであるとすれば、また違った角度から歴史を読み直すことが出来るのではないか。そしてゆくゆくはそれが沖縄の中でも「中部は独自の文化圏を形成していたという史実につながれば」と幸喜さんは言う。そこに新しい琉球弧(りゅうきゅうこ)の物語が花開くのである。それは今のところあくまでも仮説にすぎないが、今沖縄市が取り組んでいるこの幻の花織の復元作業は、いずれその時代の中部の人々の様子、時代背景を映し出すことになるのだろう。一つの文化的な出来事が明らかになることで、連鎖して見え始めるものは数多くあるだろうことが分かっているから、余計に熱も入る。部外者の私でさえそうなのだから、実際に携わる方の思い入れはさらに深いのだろう。 |
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島袋領子(しまぶくろりょうこ)さんは知花のご出身だ。「この作業所は、家から3分くらいかな」という。幸喜さんとは以前からの知り合いだったという。「街で偶然会って、今何してるのー、っていう程度の世間話から始まって」それが今では知花花織研究会の会長であるから、人との出会いというのは本当におもしろい。 |
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今後のさらなる研究が期待される注目の織物だといえるだろう。 |
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