近世琉球/近世の産業と文化の興隆 10/11

■近世の琉球文化【工芸】

陶芸
 琉球の陶器製作は、東南アジア地域から輸入した南蛮甕(なんばんがめ)を、王国内でも生産しようとしてはじまったといわれます。17世紀はじめには薩摩から朝鮮陶工を招き、釉薬を使う上焼(ジョウヤチ)がつくられるようになりました。18世紀には仲村渠致元(ナカンダカリちげん)が、薩摩で修得した技術を琉球に伝えたといわれています。1682年には古我地(こがち)、知花、湧田(わくた)の三カ所の陶窯が那覇の牧志に移され、新たな窯場として壺屋が生まれました。

漆芸
 漆器の製作は15世紀初期にはじまったといわれています。歴代国王の保護のもとで、貝の真珠光の部分を装飾としてはめ込む螺鈿(らでん)や蒔絵(まきえ)、沈金(ちんきん)などに独自の技法が生まれ、1715年には琉球独自の堆錦(ついきん)が考案されました。漆器は、上層階級者の使用や薩摩への献上品として用いられた高級品で、沖縄の高温多湿な気候が漆器づくりに適していたことも発展の要素となりました。

染織物
 沖縄の特産である芭蕉布(ばしょうふ)は、かなり古くから織られていたらしく、16世紀半ばには高度な技術を持っていたと思われます。16世紀末には先島(さきしま・宮古および八重山諸島)では苧麻(ちょま・カラムシの茎の繊維でつくった麻糸)を材料にした上布(じょうふ)が織られており、1610年代以降は貢納品として義務づけられました。
 また、久米島では早くから養蚕の技術が伝わり、17世紀には紬織(つむぎおり)がはじめられました。
 沖縄の代表的な染色である紅型(びんがた)の技法は18世紀に完成しました。これら織物や染物の技術は、中国や南方の影響を強く受けています。


枝梅竹文赤絵碗

線彫染付魚文皿

黒漆雲双龍螺鈿椀

朱漆山水楼閣人物
堆錦丸型東道盆

朱漆巴紋牡丹沈金
御供飯

白密陀山水楼閣人物
漆絵箱絵角盆

木綿浅地手縞袷衣裳

木綿浅地流水に
菊団扇文様袷衣裳

木綿染分地山波菊菖蒲
椿柴垣文様衣裳


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