王府時代の住宅建築は、身分によって屋敷・居室・建築用材などに制限がありました。
百姓の住宅は穴屋(アナヤー)とよばれる茅葺きの掘っ建て小屋で、屋敷地も80坪程度に限られていました。首里や那覇では、貫木屋(ヌチジャー)とよばれる本格的な木造家屋が建築され、屋根には瓦が用いられました。赤瓦屋根の上にシーサー(魔よけのための獅子の焼き物)を据えた家が建てられるようになるのは、建築制限令が解除された1889年以降です。
貫木屋には玄関はなく、門と母屋の間にヒンプンとよばれる屏風状の塀を設置して、屋内の目かくしをしました。母屋から見て左側前方にアサギという別棟があり、新婚夫婦や老夫婦などが住みました。
また、右側前方には畜舎や納屋が、後方にはフールという豚小屋とトイレの兼用舎がつくられました。屋敷の周囲には石垣をめぐらし、その内側には台風対策のためのフクギなどを植えました。
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