15世紀ごろ、勝連城主(かつれんじょうしゅ)の阿麻和利(あまわり)を見はるため、王様の命令によって座喜味城主(ざきみじょうしゅ)だった護佐丸(ごさまる)がうつり住んだ城です。
守りやすく攻めにくくするために、一目で周囲を見わたせる高さ167メートルの台地につくられています。
護佐丸は、北山(ほくざん)をせめたとき、なかなか落ちなかった今帰仁城(なきじんじょう)をまねて、がんじょうな座喜味城(ざきみじょう)をつくり、中城城(なかぐすくじょう)では、戦いにすぐれた城にするために手を加えたといわれます。