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  琉球政府以前
  草創期
  米軍統治の現実
  復帰へ向けて

沖縄返還交渉は、着々と具体化していった。しかし、基地の撤廃がなされないなど、多くの点で沖縄側の主張は認められなかった。
事件、事故も依然止まず、『本土なみ』を疑問視する声も多かった。

1971年5月19日、復帰協は完全復帰を要求してゼネストを実施。
同年6月17日、沖縄住民の要求が受け入れられないまま沖縄返還協定は調印された。
同年11月10日、協定のやりなおしを求めるゼネストが再び行われ、直後の11月17日には、沖縄側の要求書をたずさえて、屋良主席自ら上京。しかし、十分な成果をあげることは出来なかった。

本土復帰は、経済的な混乱ももたらすことが予想された。本土の大企業の参入による熾烈な市場競争が起こると考えられた。

1972年5月15日、復帰。それは新たな試練の歴史の幕開けであった。

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