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  琉球政府以前
  草創期
  米軍統治の現実
  復帰へ向けて

第二次世界大戦は、1945年8月15日に天皇の終戦を告げるラジオ放送で幕を閉じた。

この日、本島中部にある石川の民間人収容所では、米軍政府の招集による戦後初めての住民代表者会議が開かれた。これは、『新沖縄建設』のための話し合いを行わせるためであった。会議の結果、沖縄諮詢会(おきなわしじゅんかい)が設置されることになった。

沖縄諮詢会は、わずか半年の間に、配給機構の整備、教科書の編集作業、戸籍法の整備、住民の旧居住地への移動、警察学校・文教学校・英語学校等の設立、財政計画など、戦後行政の基本的な事業を集中的にこなした。

1946年4月、沖縄諮詢会は沖縄中央政府となり、沖縄議会も設立された。同年10月には、奄美大島に臨時北部南西諸島政庁が設置され、1947年には宮古・八重山諸島にも民政府がおかれた。さらに1950年11月には、奄美群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島の4地域の政府が群島政府に定められ、公選による知事と議会議員が選ばれた。

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