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琉球政府以前
草創期
米軍統治の現実
復帰へ向けて
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捕虜となって収容所に収容された人たちは、食糧や衣類を米軍から無償で支給された。配給食糧品は、戦闘部隊の余剰物資で、缶詰めや、沖縄のほとんどの人たちが初めて口にするものばかりであった。しかし、食糧品が豊富にあったわけではなく、地域によっては慢性的な食糧不足に悩まされ、病気や栄養失調で亡くなる人も少なくなかった。
1948年に沖縄の通貨がB型軍票(B円)に統一されると、配給物資も有償となった。
1947年からガリオア資金(おもに食糧、肥料、医薬品などの現物支給)が適用されていたが、食糧難はいっこうに解消されず、極度の貧困状況は続いていた。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効。
日本は独立し、沖縄は日本から切り離され、"正式に"米軍統治の時代が始まった。それはまた、疑似国家・琉球としての再出発でもあった。
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