近世琉球/島津氏の琉球支配 4/6

■日本の中の“異国”

 島津氏(しまづし)にとっては経済的な野心のために、また琉球にとっては王国を存続させるために、どうしても中国との交易は維持しなければなりませんでした。
 いっぽう、琉球は幕府や薩摩への服属儀礼として、琉球国王の代替わりのときは「謝恩使(しゃおんし)」を、徳川将軍の代替わりのときには「慶賀使(けいがし)」を江戸へ派遣することを義務づけられました。これが「江戸上り(えどのぼり)」です。琉球使節は、幕府にとっても島津氏(しまづし)にとっても、「異国」である琉球を支配していることをまわりに誇示し、権威を高める機会として利用されました。


舞楽図


座楽並踊之図



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