近世琉球/近世の産業と文化の興隆 1/11

■農業の発達

 沖縄の農産物の代表ともいえるサツマイモは、野国総管(のぐにそうかん)が1605年に中国から琉球へ持ち帰り、地頭の儀間真常(ぎましんじょう)が栽培法の研究を重ね、琉球全域に普及させたといわれています。琉球はもともと台風などの災害が多く絶えず飢饉に悩まされていたため、サツマイモのような気候不順に強い作物が琉球に広まったことは、食糧革命ともいうべき画期的な出来事でした。
 その後、琉球から薩摩へ伝わったサツマイモは、やがて青木昆陽(あおきこんよう)によって全国に広められました。そのため薩摩の名をとり「さつまいも」とよばれるようになったのです。
 もう一つの沖縄の代表的な農作物といえばサトウキビがあげられます。琉球への伝来の時期は不明ですが、サツマイモを広めた儀間真常が、1623年に中国に使者を送って製糖法を学ばせたのがはじまりだといわれています。砂糖が日本で高値で取り引きされることを知り、王府は鬱金(うこん・ウッチン)とともに専売制にして利益を上げました。さらに1662年には砂糖奉行が設置され、栽培から製糖にいたるまで厳重な統制下におきました。


野国総管の墓


黒糖


サトウキビ


ウッチン



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