![]() ![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||
|
【USCAR時代】#2(1957〜72年) その背景には、日本の高度経済成長による国力回復と、沖縄住民の日本への帰属意識の高まり、かたやベトナム戦争を契機とする米国の権威失墜がある。USCARの命題は、あくまで米国がいかに沖縄の基地を長期的に安定して利用しつづけられるかにあり、そのために歴代高等弁務官も、ある時代は強硬策に、ある時代は懐柔策にとフレキシブルに路線を変更させている。 USCARは58年(第2代ブース弁務官時)、沖縄で流通する通貨をそれまでのB円から米ドルに切り替え、沖縄はドル経済圏に組み込まれることで60年代に高度経済成長期を迎えた。だが経済的に安定してくるとともに、住民の間には日本への復帰運動が高まりだした。この動きを抑制するためにUSCARは、本土とは異なる沖縄独自の文化や歴史を住民にアピールして、沖縄住民に独自のアイデンティティーを強く意識させようと試みた。 そのころ日本本土は、64年の東京オリンピック開催に象徴されるような目ざましい経済成長を世界に示していた。また同年には本土―沖縄間マイクロ回線が開通して(第3代キャラウェイ弁務官時)、沖縄住民と本土との心理的距離感を縮めるのに一役買った。 ![]() ![]() |