TOPへ戻る

 USCAR設立以前
 USCAR時代#1
 USCAR時代#2
 USCAR時代#3


【USCAR時代】#1(1950〜57年)

東西冷戦が勃発するなかで米国は、沖縄を日本本土から切り離し自国の傘下に置いた方が、アジア太平洋諸国における自由主義陣営の戦略拠点として有効だと考えた。
そこで、日米両国は51年、琉球列島を米国管理下に置くことを前提とし、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を結んでいる。

50年12月に設立したUSCAR(琉球列島米国民政府)にとって、第一の任務は、沖縄の軍事基地建設を推進することにあった。このため同政府は強硬な軍用地収用策を取り、これに対して起きた住民の反対運動(56年、島ぐるみ土地闘争)では、地代を住民が要求する条件で支払うことで折り合いを図った。だが土地問題を契機に住民らが強い反米感情を見せるようになり、米国は統治の強化を目指して高等弁務官制を導入する。

一方、基地建設とともに、沖縄の経済構造は、従来の農業から、基地やその関係者によって生み出される需要を満たすためのサービス産業にシフトしていく。

沖縄に赴任した高等弁務官は計6人にのぼる。この期間に米国はその対沖縄政策をそれまでの離日政策から日本復帰政策へと転換した。

  NEXT