  
 
 
 
第2代行政主席 
當間重剛 
1956.11.11−1959.11.10 
 
 
【プロフィール】 
 
島ぐるみ闘争の渦中で比嘉主席が急逝し、代わりに親米的な當間・那覇市長が行政主席に任命された。 
その後任選挙で1956年12月、米国民政府に真っ向から抵抗する人民等(民連)書記長の瀬長亀次郎氏が、那覇市長に当選した。これは米国民政府に大きな衝撃を与えた。 
そのため、米国民政府は市町村選挙法を改正して市長の座から追放した。瀬長氏が那覇市長の座から退き、『民連ブーム』で兼次佐一氏が1958年1月、那覇市長に当選した。 
 
   NEXT 
 |  
 |