沖縄県が慰霊の日と定めている6月23日は、沖縄守備軍第32軍の司令官・牛島満(うしじまみつる)中将が自決したとされる日(実際は22日)であり、沖縄戦終結の日ではありません。日本軍と米軍の戦闘は6月23日以降も続きました。
沖縄戦は7月2日の米軍の沖縄作戦終了宣言によって終わるはずでしたが、山野にこもる日本の敗残兵が抵抗を続けたため、米軍による日本の敗残兵掃討作戦は8月15日以降も続けられました。結果的に、沖縄での実質的な戦闘は降伏調印式がおこなわれた9月7日まで続いたのです。
沖縄本島内ではまだ戦闘がおこなわれていた6月、各地の収容所ではすでに学校が開設され、授業がはじまっていました。新聞の発行も収容所からスタートしました。収容所では食糧と衣類は無償で支給され、人々はアメリカの豊かさを実感し、同時に民主主義の国アメリカを知りました。
米軍の上陸がなかった八重山では、日本兵が退去した後、人々はみずからの手で民主的な自治組織をつくり運営していましたが、12月末の米軍進駐により米軍政府の統治に組み込まれることになりました。
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