戦後沖縄/敗戦と米軍占領 1/4

■米軍占領のはじまり

 1945(昭和20)年3月26日、慶良間(けらま)諸島に上陸した米軍は、ニミッツ布告を発し、日本帝国政府のすべての行政権を停止して、南西諸島を米国海軍軍政府の管轄下におくことを宣言しました。それ以来、沖縄は日本から政治的に切り離され、1972(昭和47)年5月15日の日本復帰までの27年間、本土と異なる戦後の歴史を歩むことになったのです。
 1945年4月1日、沖縄本島に上陸した米軍は読谷(ヨミタン)村比謝に米国海軍の軍政府をおき、南西諸島の軍事支配を本格的に開始することになります。
 日本がポツダム宣言を受諾した同年8月、沖縄本島中部の石川にあった民間人収容所では、米国軍政府の招集による戦後初の住民代表者会議が開かれました。会議の結果、沖縄諮詢会(おきなわしじゅんかい)が設置され、委員長に志喜屋孝信(しきやこうしん)が選ばれました。さらに翌年4月には、沖縄諮詢会は沖縄民政府となり、沖縄議会も設置されます。
 しかし、知事や議会議員は軍政府によって任命されたものでした。その後、軍政府の担当が海軍から陸軍にかわって米国民政府がおかれますが、実質的には一貫して沖縄駐留米軍の支配下にありました。


沖縄諮詢会の発足


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