近代沖縄/琉球処分 7/8

■「琉球」と「沖縄」

 「琉球」の呼称は中国の古い資料にあらわれ、「流求」「琉求」「瑠求」の文字などがあてられています。「琉球」の表記は、14世紀に中山(ちゅうざん)王の察度(さっと)が、明に入朝したころから使用されるようになりました。
 「沖縄」は古くから地元の人々が自称していた「ウチナー」からきており、文献では『平家物語』(長門本)にはじめて「おきなわ」の表現が用いられました。また、『唐大和上東征伝』に記されている「阿児奈波島」を歴史上の初見とする見方もあります。漢字ではそのほかに、「悪鬼納」などの文字もあてられています。
 「沖縄」という文字の表記は、17世紀の薩摩の資料にすでに見られますが、新井白石が『南嶋志』で「沖縄」という字をあててから、一般的に使用されるようになったといわれています。
 「琉球処分」による廃藩置県で、琉球藩が琉球県ではなく沖縄県とされたのも、琉球の呼称が中国からあたえられたものだったからです。



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