近代沖縄/琉球処分 5/8

■台湾遭難事件と台湾出兵

 「琉球処分」を決行する前の明治政府は、琉球と清国との関係を断絶し、名実ともに琉球を日本の領土に位置づけることを最大の課題としていました。
 ちょうどそのころ、宮古島の船が遭難して台湾に漂着、そこで乗組員66人のうちの54人が地元住民に殺害されるという事件が起こりました(琉球船の台湾遭難事件)。明治政府はこの事件を利用して、清国に対し琉球を日本の領土と認めることを求め、さらに台湾への進出をくわだてました。
 しかし清国は、台湾は蕃地であり中国の責任下にないとして、この事件にとりあいませんでした。そこで明治政府は、1874(明治7)年、台湾へ3,600名余の兵をさしむけました。これが台湾出兵です。
 この争いは、イギリスの調停で和解が成立しましたが、日中両国間で交わされた条文には「台湾の生蕃が日本国属民を殺害したので、日本国政府はこの罪をとがめてかれらを征伐したが、これは自国の人民を守るための正当な行動であった」とあり、琉球人を「日本国属民」と明記しています。つまり日本政府は、中国に「琉球人=日本人」ということを認めさせたのです。



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