近代沖縄/琉球処分 4/8

■琉球藩の設置

 開国によって新政府が誕生しようとしていた1866年、琉球では最後の王となる尚泰(しょうたい)の冊封(さくほう)式典がおこなわれていました。
 1871(明治4)年、全国的に廃藩置県が実施されると、琉球はひとまず鹿児島県の管轄下におかれました。そして1872(明治5)年、明治政府は東京に使者を呼び、尚泰王を「琉球藩王」に任命することを告げました。
 これがいわゆる「琉球処分」のはじまりです。
 いっぽう、琉球王府はこの出来事を、管轄が薩摩から中央政府に移管しただけとしか理解できませんでした。王国の解体という事の重大さには気づいていなかったのです。
 明治政府が、琉球に対してすぐに廃藩置県を実施しないでいったん藩にし、さらに尚泰を「藩主」ではなく「藩王」としたのは、琉球や中国の反発を回避するためにも段階的に王国解体をおこなう必要があったからです。



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