近代沖縄/琉球処分 3/8

■アメリカ水兵殺害事件

 ペリー艦隊の水兵の中には、長く厳しい航海生活の反動のためか、琉球に上陸すると不届きな行動で住民のひんしゅくを買う者もいました。次のようなウイリアム・ボードの事件もそのひとつです。
 ある日、三人の水兵が那覇に上陸し、近くの民家から泡盛を奪って飲みほしました。すると、ウイリアム・ボードという水兵が酔っぱらって人家に押し入り、老婆に乱暴をはたらいてしまいました。騒ぎを聞きつけた住民が、石をもって彼を海岸まで追いつめると、ボードは足を取られて海に落ち、溺れて死んでしまいました。
 ペリーは真相究明と犯人の処罰を求め、アメリカ側立ち会いのもとで裁判を開かせると、犯人に流刑を求刑しました。しかし、琉球側はこの刑を執行しなかったようです。ペリーも刑の執行より合法的な裁判をおこなうことの方が重要であると考え、刑の執行を追求しなかったようです。
 那覇の泊にある外人墓地には、このようにはるばる琉球までやって来て事故死、病死した外国人が葬られています。


泊外人墓地


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