近代沖縄/琉球処分 2/8

■琉球への欧米船の来航

1797年 英国測量船プロビデンス号(艦長ウィリアム・ブロートン)、宮古多良間島沖で難破。同年、那覇へ寄航。ウィリアム・ブロートン著『北太平洋航海踏査録』刊行(1804年)
1803年 英国船フレデリック号那覇に寄航。
1816年 英国艦船ライラ号・アルセスト号来航。42日間滞在。バジル・ホール著『朝鮮西沿岸及び大琉球島探検航海記』刊行(1818年)
1827年 英国船ブロッサム号(艦長フレデリック・ビーチー)来航。フレデリック・ビーチー著『ビーチー太平洋航海踏査録』刊行(1831年)
1832年 英国船ロードアーマスト号漂来。
1843年 英国軍艦サマラン号、宮古・八重山の土地測量。『サマラン号航海記』刊行(1848年)
1844年 仏国軍艦アルクメーヌ号那覇に入港。和好・貿易を求める。回答は後来する艦船にするように託し、宣教師フォルカードを残して中国へ向かう。
1846年 英国船スターリング号那覇に来航。英国宣教師ベッテルハイム来琉(以後8年間滞在)。仏艦船サビーヌ号がフォルカードの後任ル・テュルデュを伴い那覇に来航。その後クレオパートル号・ビクトリューズ号とともに運天港に集結し、44年に要求した和好・貿易の回答を求める。琉球側、これを拒否する。英艦隊3隻那覇に来航。薩摩藩、仏との貿易許可の内諾を得る。
1847年 西洋船、久米島・宮古・八重山・粟国へ来航。
1849年 英国船来航、通商要求。久米島・宮古に異国船来航。
1850年 英国船レナード号来航。
1851年 ジョン万次郎、米国船にて来航。異国船の来航しきり。
1852年 清国人労働者を乗せた米国商船ロバート・バウン号が石垣島に漂着。
1853年 米海軍提督ペリー、サスケハナ号ほか3隻で那覇に来航。自由貿易など要求。
1854年 『琉米修好条約』調印。パルラダ号でロシアのプチャーチン来航。ペリー監修『日本遠征記』刊行(1856年)。


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