近代沖縄/「ソテツ地獄」下の沖縄 3/4

■沖縄の社会運動

 資本主義が未発達であった近代の沖縄にも、出稼ぎや就学で本土へ渡った人々によって、労働運動の理論や階級闘争の思想がもたらされるようになりました。
 1910年代には、教員ら知識階層の間に社会主義思想が普及し、また小作人が地主に対して権利を主張するという小作争議もひんぱんに起こるようになりました。
 1926(大正15)年には、本土での社会主義運動に関わっていた活動家を中心に「沖縄青年同盟」が結成され、各職業の労働組合の結成やストライキの指導がおこなわれました。1928(昭和3)年のわが国初の普通選挙(満25歳以上・男子対象)では、沖縄社会主義運動の指導者が立候補するなど、社会運動は盛り上がりをみせました。
 また、学生運動や教員の組合運動も盛んになりました。東京の大学や高等師範学校では、沖縄出身の学生による運動が激化し、処分を受ける者も多数出ました。八重山と沖縄本島では、1930(昭和5)年ごろに教育労働者組合が結成されました。
 このような沖縄における社会運動の活発化に対応して、特高(とっこう・県警察特別高等課)による取り締まりも強化され、さまざまな労働組合が不当な弾圧にあいました。1930年代後半には、運動家や学生らは投獄されたり、沖縄からの脱出を余儀なくされ、1940年代の沖縄の社会運動は暗い時代をむかえることになりました。



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