近代沖縄/「ソテツ地獄」下の沖縄 1/4

■「ソテツ地獄」と県民の暮らし

 日露戦争後の不況にあえいでいた日本は、1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦によって一時撤退したヨーロッパ列強にかわって、アジア市場を独占することになりました。軍需品や鉱産物、薬品関係などの大量輸出によって景気は回復し、日本の工業の発達をもうながしました。沖縄もこの大戦景気の恩恵を受け、特産物の砂糖で利益をあげる「砂糖成金」が生まれるほどでした。
 しかし、この大戦景気は長続きしませんでした。第一次大戦が終わって西欧勢力が再びアジア市場に進出してくると、日本の輸出は急速に減少し、国内では過剰生産によるいわゆる戦後恐慌におちいりました。砂糖の価格は下落し、深刻な不況の波が押し寄せてきました。
 さらに、1923(大正12)年におこった関東大震災や、1929(昭和4)年におこった世界恐慌により、「昭和恐慌」とよばれる慢性的な不況が日本をはじめ沖縄の人々の生活を襲いました。


旧式の製糖場


ソテツ

 大正末期から昭和初期にかけておこった恐慌は、沖縄では「ソテツ地獄」とよんでいます。当時の沖縄の人口の7割が暮していた農村部では、極度の不況のため米はおろか芋さえも口にできず、多くの農民が野生の蘇鉄(そてつ)を食糧にしました。毒性を持つ蘇鉄(そてつ)は、調理法をあやまると死の危険性があるにもかかわらず、その実や幹で飢えをしのぐほかないほど、農村は疲弊しきっていたのです。
 しかし、このような県民の貧窮にもかかわらず国税は徴収され、さらに台風や干ばつなどが追い打ちをかけたため、県民の暮らしは文字通り地獄の様相を呈していました。農家では身売りが公然とおこなわれ、さらには海外への移民や本土への出稼ぎが増えていきました。


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