沖縄戦では、米軍が上陸しなかった先島(さきしま・宮古および八重山諸島)をはじめとする各島々も、大きな犠牲を払っています。
先島は米・英両軍の空と海からの攻撃を受け、大きな被害を出しましたが、それよりも深刻だったのが食糧不足とマラリアによる被害でした。
八重山では住民の多くがマラリアのはびこる山地へ強制的に退去させられ、3,647人(人口の11%)がマラリアにかかって命を落としました。また宮古でも、人口6万余の島々に約3万人の日本兵が駐留し、極度の食糧不足とマラリアに苦しめられました。
本島北部の伊是名(いぜな)島では、敗残兵の命令で、漂着した3人の米兵を虐殺するという事件がおき、続いて数人の住民が日本兵によって虐殺される事件もおきました。しかし、伊平屋島や粟国島では、米軍が上陸してきたにもかかわらず、島に日本兵がほとんどいなかったことで米軍への投降がスムーズにおこなわれ、結果的に大きな犠牲を出すことはありませんでした。日本兵の有無が住民の明暗を分けたことになります。本島北部の瀬底島では、日本軍がいると住民が犠牲になるとして、島へ渡ってきた日本兵を追い返したという例もありました。
本島中部の中城(ナカグスク)湾には砲撃基地があったため、津堅島が激戦地となりました。渡名喜(となき)島では本島との連絡が途絶えたため、9月半ばに敗戦が伝えられるまで食糧不足に苦しみました。
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西表島の忘れな石の碑
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八重山戦争マラリア
犠牲者慰霊の碑
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アーニー・パイル記念碑
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公益質屋跡
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