謝名親方鄭迥(じゃなエーカタていどう)は、琉球王府の三司官(さんしかん・国王を補佐し国務をつかさどる役人)の一人。
島津氏(しまづし)の侵入後、尚寧(しょうねい)王とともに薩摩へ連行された際、島津氏に忠誠を誓う起請文(きしょうもん・誓約書)を書くことを強要されますが、国政をあずかる地位にあった謝名は、島津の侵入にいたる一連の要求をすべて拒絶して薩摩軍と戦った者として最後までこれを拒否したため、1611年斬首されました。
謝名は、長崎に来航した中国船にひそかに明国の救援を願っていましたが、これは失敗に終わりました。中国側は、謝名を「国難に殉じた忠臣」として評しています。
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