近世琉球/近世の産業と文化の興隆 3/11

■交通網の整備

 日本の支配下におかれた琉球では、烽火台を要所に設置して外国船の情報を即座に伝達しました。先島(さきしま・宮古および八重山諸島)もふくめて王府への緊急連絡をおこなう飛船も用意されており、伝達網は整備されていました。
いっぽう、国内の交通網は、主要港であり物資の集散地でもある那覇を中心に形成されていました。また、各間切(マギリ)や地方の役人は公用で頻繁に首里や那覇をおとずれたため、そのための間切宿・島宿・村宿などもできてにぎわいました。
 間切と間切をむすぶ街道を宿道(しゅくみち)といい、王府からの布達はこの道を通って各地へ伝えられました。琉球国内の道路は、この宿道を中心に発達し広がっていました。


当山の石畳


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