近世琉球/琉球王国の再建 4/10

■身分制度の確立

 琉球の身分制度の原形は、15世紀後半〜16世紀にかけての尚真(しょうしん)王の代に形づくられ、17世紀初頭には大名・士(サムレー)・百姓の三つに分けられていました。それが、1670年から着手された羽地朝秀(はねじちょうしゅう)による「系図・家譜(かふ)」の編集によって、士と百姓の区別が明確にされました。
 士は系図・家譜の作成を命じられて「系持(けいもち)」とよばれ、いっぽう系図を持たない百姓は「無系(むけい)」とよばれるようになりました。系図・家譜の有無によって身分を明らかにしたのです。
 士族階級は、大名方(だいみょうがた)と士(サムレー)と称する階層に分けられ、大名方には王子・按司(アジ)・親方(エーカタ)が属していました。これらは最上位の支配者層で、王府から一間切(マギリ・現在の市や町にあたる)の領地をあたえられました。王子・按司の広大な屋敷を「○○御殿(ウドゥン)」、親方の屋敷を「○○殿内(ドゥンチ)」とよんでいました。
 大名方を本家とする士は里之子筋目(サトゥヌシすじめ)とよばれ、上級士族として要職に従事し、それ以外の筑登之筋目(チクドゥンすじめ)は下級士族として一般事務にあたりました。この筑登之筋目には、本来家譜を持たない百姓が功績をあげたり献金によって家譜を作成し、士の身分を得た者もふくまれていました。
 いっぽう、平民層の百姓は、那覇や首里の町に住んで商工業に従事する町百姓と、地方で農業をいとなむ田舎百姓とに分けられました。


冠(ハチマチ)


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