琉球の正史によると、14世紀初頭には英祖(えいそ)王統の統制力が乱れ、琉球は三つの勢力圏に分断されたとされています。いわゆる三山(さんざん)時代のはじまりです。その中山(ちゅうざん)をおさめていた英祖王統を引きついだのが、察度(さっと)の即位にはじまる察度王統です。察度には、貧しい農民と天女とのあいだにもうけられた子であるという羽衣伝説があり、舜天(しゅんてん)や英祖(えいそ)同様に、非凡な運命のもとに生まれたと神格化されて伝わっています。
三山の中でも特に勢力を誇っていた中山の察度は、1372年にはじめて中国の明朝へ朝貢(ちょうこう・大国へ貢物をおさめること)しました。これが、琉球と明との公式な貿易のはじまりだといわれています。続いて南山(なんざん)の承察度(しょうさっと)、北山(ほくざん)の怕尼芝(はにじ)も入貢し、明の皇帝からそれぞれの国の王であることを承認してもらいました。このように、明を盟主として東アジア各国が主従関係をむすび、進貢貿易をおこなうことを冊封(さくほう・サップウ)といいます。
冊封体制のもと、北山は今帰仁(ナキジン)グスク、中山は浦添グスク、南山は島尻大里(しまじりおおざと)グスクをそれぞれ拠点にして、互いに激しい勢力争いを展開します。この14世紀初頭から15世紀初頭までが三山時代とよばれる時代で、海外貿易による経済力の拡大とともに、琉球王国の形成に着実につき進んでいきました。
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