古琉球

 12世紀のグスク時代にはじまり、琉球王国の成立をへて、1609年の島津侵入までの時代の流れを、総称して古流球(こりゅうきゅう)とよびます。
 12世紀になると沖縄は、狩猟採集が中心であった長い貝塚時代が終わり、ようやく農耕社会が形成されました。それにともない、各地には按司(アジ)とよばれる指導者が誕生して、砦としてのグスクを築き、互いが勢力を争う「グスク時代」を展開します。
 14世紀にはより強力な三つの勢力があらわれ、沖縄島を南部・中部・北部に分断してそれぞれの地域を支配しました。これが「三山時代(さんざんじだい)」です。良港を抱えていた三つの勢力は、中国との交易を積極的におこない経済力を拡大していきました。
 15世紀にはいると、南部からでてきた按司・尚巴志(しょうはし)が頭角をあらわし、三山の統一をなしとげました。琉球王国の誕生です。

統一王朝の成立

 琉球王国は中国をはじめ、東アジアや東南アジア、朝鮮、日本にいたる周辺諸国と積極的に交易をおこない、「大交易時代」とよばれる時代を築きました。

大交易時代の琉球

 尚巴志のうち立てた第一尚氏王統につづき、琉球王国をおさめたのが第二尚氏王統です。なかでも統治組織を整備し、中央集権的な国家をつくった3代王、尚真(しょうしん)の時代には、数々の建造物も造営され、琉球の黄金時代とよぶにふさわしい時代でした。

琉球王国の確立

 このように古流球時代の沖縄は、アジアや日本の影響を受けながらも独自の歴史と文化を開花させ、琉球王国という独立国家を形成し発展させていきました。しかし、1609年の島津氏の侵攻によって幕藩体制に組み込まれた琉球王国は、実質的に独立国家としての機能を失うことになりました。