10世紀から14世紀にかけての東アジアは、各国の商人が活発に交易をおこなっていた時代です。中国商人は、東アジア各地に華僑(かきょう)として寄留し発展していきました。日本でも、特に九州や瀬戸内の商人が積極的に貿易をおこない、勢力を拡大していました。このような国際情勢のもと、三山勢力による抗争を繰り返していた琉球も、やがて統一王国の誕生をむかえます。この時期の東アジアは、全体が混乱から統一へ向かう変革の時代でした。
1368年、中国に明(みん)朝が成立します。明は、中国を中心とした国際秩序の構築を目指し、近隣諸国に入貢をよびかけるとともに、海禁政策をとって自由貿易を禁止しました。つまり、盟主としての中国と臣下としての周辺諸国の位置づけを明確にし、明の皇帝に忠誠を誓う国に対してのみ、交易を許したのです。このような、中国を中心とした東アジアの国際秩序が「冊封体制(さくほうたいせい)」とよばれるものです。そして、三山時代の琉球も、明からの呼びかけに応え冊封体制へと加わりました。
琉球は、優れた中国商品を大量に輸入してそれらを近隣諸国へ輸出すると同時に、中国へ持ちこむための商品を日本や東南アジアから調達するなど、東アジアの中継貿易国として重要な役割を果たしました。世界の海を舞台にして壮大な交易の道を築き上げたのです。
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