古琉球/琉球王国の確立 1/5

■第二尚氏王統

 第一尚氏王統を築き、琉球統一をなしとげた尚巴志(しょうはし)が没すると、王朝の勢力はしだいに衰えはじめました。7代王の尚徳は野心的に領土拡張をおこない、あいつぐ内乱や神社仏閣造営による財政逼迫をかえりみず、暴君ぶりを露呈したといわれています。
 しばらくして尚徳は病死し、王位継承に関しては家臣らの話し合いの結果、当時王府の重臣であった金丸(かなまる)が推挙されました。金丸はもともと農民出身で、6代王尚泰久(しょうたいきゅう)にその才能を認められて「御物城御鎖側(オモノグスクウサスヌスバ)」として財政や外交をまかされるようになった人物です。
 金丸は新国王として即位し、第一尚氏王統の「尚」姓を引きついで尚円(しょうえん)と名乗りました。そして、尚徳王の正統な後継者であることを中国皇帝に報告し、1472年に冊封を受けました。この尚円からはじまる王統が、明治初期の「琉球処分」まで、19代410年間にわたって琉球王国を統治した第二尚氏王統です。

●第二尚氏王統図(前期)
王名 在位年代 在位年数
尚 円 1470〜1476年 7年
尚宣威 1477年 1年
尚 真 1477〜1526年 50年
尚 清 1527〜1555年 29年
尚 元 1556〜1572年 17年
尚 永 1573〜1588年 16年
尚 寧 1589〜1620年 32年


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