第一尚氏王統を築き、琉球統一をなしとげた尚巴志(しょうはし)が没すると、王朝の勢力はしだいに衰えはじめました。7代王の尚徳は野心的に領土拡張をおこない、あいつぐ内乱や神社仏閣造営による財政逼迫をかえりみず、暴君ぶりを露呈したといわれています。
しばらくして尚徳は病死し、王位継承に関しては家臣らの話し合いの結果、当時王府の重臣であった金丸(かなまる)が推挙されました。金丸はもともと農民出身で、6代王尚泰久(しょうたいきゅう)にその才能を認められて「御物城御鎖側(オモノグスクウサスヌスバ)」として財政や外交をまかされるようになった人物です。
金丸は新国王として即位し、第一尚氏王統の「尚」姓を引きついで尚円(しょうえん)と名乗りました。そして、尚徳王の正統な後継者であることを中国皇帝に報告し、1472年に冊封を受けました。この尚円からはじまる王統が、明治初期の「琉球処分」まで、19代410年間にわたって琉球王国を統治した第二尚氏王統です。
●第二尚氏王統図(前期)
王名 |
在位年代 |
在位年数 |
尚 円 |
1470〜1476年 |
7年 |
尚宣威 |
1477年 |
1年 |
尚 真 |
1477〜1526年 |
50年 |
尚 清 |
1527〜1555年 |
29年 |
尚 元 |
1556〜1572年 |
17年 |
尚 永 |
1573〜1588年 |
16年 |
尚 寧 |
1589〜1620年 |
32年 |
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