■朝鮮との交易
琉球と朝鮮との交易は、1389年に中山(ちゅうざん)の察度(さっと)王が朝鮮へ使者を派遣したことにはじまります。使いの目的は、倭寇(わこう)に捕らえられていた朝鮮人を本国(当時の高麗)へ送還することでした。これに対する返礼の使者が高麗から琉球に送られ、以後両国の交易がはじまりました。 琉球船は奄美諸島をへて九州西岸、対馬を経由し釜山にいたる航路で朝鮮へと向かいました。いっぽう、朝鮮沿岸は倭寇がはびこる危険な地域であったため、朝鮮から琉球へ出向く交易船はありませんでしたが、両国間には信頼関係が築かれ、綿織物や朝鮮人参、仏教経典などが朝鮮から多数もたらされました。 しかし、15世紀半ばになると琉球船の朝鮮行きも減少し、さらに日本商人が琉球使節を偽る事件などが発生したため、琉球と朝鮮との交易はしだいに衰退していきました。