古琉球/大交易時代の琉球 5/7

■ポルトガル資料にみる琉球

 当時の東南アジア地域において活躍し、琉球の「大交易時代」を支えた人々は、ヨーロッパ人にも「レキオ」または「ゴーレス」として広く知られるようになりました。当時の琉球人の姿を、ポルトガルの資料は次のように伝えています。
 レケオ(琉球)人はゴーレスと呼ばれる。かれらはこれらの名前のどちらかで知られているが、レキオ(レケオに同じ)人というのが主な名前である。王国とすべての人民は異教徒である。国王はシナ(中国)の国王の臣下で、(彼に)朝貢している。彼の島は大きく、人口が多い。彼らは独特の形の小船を持っている。またジュンコ(ジャンク型の船)は、3、4隻持っているが、彼らはたえずそれをシナから買い入れている。彼らはそれ以外は船を持っていない。彼らはシナとマラカ(マラッカ)で取引を行う。しばしば彼らはシナ人と一緒に取引をし、またしばしば自分自身でシナのフォケン(福建)の港で取引をする。それらはシナ本土にあり、カントン(広東)に近く、そこから一昼夜の航海のところにある。マラヨ(マレー)人はマラカの人々に対し、ポルトガル人とレキオ(琉球人)との間には何の相違もないが、ポルトガル人は婦人を買い、レキオ人はそれをしないだけであると語っている。
 レキオ人は、彼らの土地には小麦と米と独特の酒と肉とを持っているだけである。魚はたいへん豊富である。…(中略)…我々の諸王国でミラン(ミラノ)について語るように、シナ人やその他のすべての国民はレキオ人について語る。彼らは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。彼らはこのことについては死を賭ける。彼らは色の白い人々で、シナ人よりも良い服装をしており、気位が高い。彼らはシナに渡航して、マラカからシナへ来た商品を持ち帰る。彼らはジャポン(日本)へ赴(おもむ)く。それは海路7、8日の航程のところにある島である。彼らはそこでこの島にある黄金と銅とを商品と交換(こうかん)に買い入れる。レキオ人は自分の商品を自由に掛(か)け売りする。そして代金を受け取る際に、もし人々が彼らを欺(あざむ)いたとしたら、彼らは剣を手にして代金を取り立てる。
トメ・ピレス「東方諸国記」(生田滋・加藤栄一・長岡新治郎訳)
『大航海時代叢書』Vより


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