古琉球/大交易時代の琉球 4/7

■東南アジアとの交易

 東南アジアのことを、琉球の古い言葉で「真南蛮(マナバン)」といいます。東南アジアとの交易がはじまった具体的な年代は分かっていませんが、14世紀ごろには交流があったであろうといわれています。
 東南アジアとの貿易が本格化するのは15世紀からです。優れた中国商品を大量に入手することができた琉球は、これらの商品を用いて日本や朝鮮を相手に中継貿易をおこなっていましたが、さらなる利益を求めて、遠方のマナバン地域にまで交易範囲を拡大していきました。
 東南アジアの交易相手は、当時もっとも栄えていたシャム(現在のタイ)をはじめ、パレンバン、ジャワ(インドネシア)、マラッカ(マレーシア)などの港湾都市を擁する国々でした。琉球から東南アジアへは、中国産の陶磁器や絹織物、琉球産の硫黄、日本産の工芸品などが輸出され、東南アジアからは、高級な染料としての蘇木(そぼく)、胡椒(こしょう)、南蛮酒、象牙などめずらしい品々を買い入れました。
 しかし16世紀になり、ポルトガルやイスパニアなどの西欧勢力がアジアに進出するようになると、東南アジアとの交易は急速に衰退しました。中国の海禁政策もしだいに緩和され、さらに日本商船の進出などもあり、東南アジア交易は国際競争の時代へ突入したのです。
 そして、小さな交易力しかもてなかった琉球王国は、1570年のシャムとの交易を最後に、東南アジアとの交易に終止符をうったのです。

●東南アジア諸国への派遣船隻数

派遣先国 交易期間 船隻数 派遣先国 交易期間 船隻数
シャム 1419〜1570年 62(4) パレンバン 1428〜1440年 4
ジャワ 1430〜1442年 6 マラッカ 1463〜1511年 20(3)
スマトラ 1463〜1468年 3 パタニ 1490〜1543年 11
安南 1509年 1 スンダ 1513〜1518年 2
高良倉吉著『琉球の時代』を参考に作成した。( )内の数は難破船隻。


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