冊封体制に組み込まれた国々は、中国皇帝に貢物(みつぎもの)をおさめて敬意を表しました。これを進貢(しんこう)または朝貢(ちょうこう)といいます。
琉球からは三山時代に、中山(ちゅうざん)の察度(さっと)王をはじめ、南山(なんざん)、北山(ほくざん)それぞれの王が競って入貢しました。また、そのあと琉球を統一した尚巴志(しょうはし)は、進貢貿易を独占することによって王国の経済力を急速に発展させました。
進貢のために中国へ向かった進貢使は総勢300人で、ほぼ2年に1度派遣されました。皇帝に謁見(えっけん)した進貢使は、琉球国王からの文書および献上品をおさめました。それとひき替えに皇帝からは、国王への文書と高級な品物の数々があたえられました。
中国へのおもな献上品は、馬や硫黄、貝類、芭蕉布(ばしょうふ)など沖縄の特産品をはじめ、日本の工芸品や東南アジアの珍品などでした。琉球から持ちこまれる品々は貴重な軍事物資となったため、中国は琉球を物資供給国として重要視しました。また、琉球は進貢貿易に熱心であったため、他国に比べて特に優遇され、しだいに東アジアおよび東南アジアにおける中継貿易国としての地位を確立していきました。
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