先史沖縄

 日本列島の最南西端に、おびただしい数の島じまが連なって構成する沖縄。いまでこそ日本列島とアジア大陸にはさまるように位置していますが、その昔、沖縄が大陸と地つづきであり、さまざまな生物の往来があったであろうことは、それらの化石の発掘により証明されています。
 沖縄の島々にいつごろから人類が住みつくようになったのかは定かではありませんが、那覇市で出土した化石人骨(山下洞人)は今から約3万2000年前、具志頭村(ぐしかみそん)の港川(みなとがわ)で出土した化石人骨(港川人)は約1万7000年前のものであることが確認されています。これら旧石器人は、中国大陸から陸橋を渡って琉球列島にやってきたと思われますが、詳しいことは不明です。

旧石器時代の沖縄

 港川人の時代から約1万数千年の長い空白期間をへて登場するのが、約7000年前からはじまる新石器時代(縄文時代)で、この時代は縄文早期、縄文前期、縄文中期、縄文後期、縄文晩期、弥生時代に分けられます。縄文早期と縄文前期は九州との交流が深かった時代、縄文中期は奄美諸島や沖縄諸島の独自の文化が発生した時代、縄文後期は再び九州との交流が盛んになり、中国とも関わるようになった時代、縄文晩期は集落が形成され、九州との活発な交流があった時代といえます。
 弥生時代に相当する遺跡は海岸砂丘地に多く、出土品から九州や中国と交易していたことが分かります。貝輪(かいわ)の原材料となったゴホウラ貝などは、九州へ移出されたものの代表的なものでしょう。九州からは弥生土器が持ちこまれたほか、箱式石棺墓などによる埋葬法が伝わっています。
 日本の古墳時代から平安時代までの古代社会の時代には、奄美・沖縄諸島は狩猟採集段階の社会が続いていて、日本との交流もほとんどありませんでした。

新石器時代の沖縄

 いっぽう、先島(さきしま)と総称される宮古・八重山諸島の先史時代は、奄美・沖縄諸島とは異なる文化圏が形成されていました。縄文文化や弥生文化の影響はなく、むしろ南方地域との交流を示す遺跡が多く見つかっています。

新石器時代の先島