先史沖縄/新石器時代の先島 1/2

■新石器時代の先島の様相

 琉球列島南端にある先島(さきしま・宮古および八重山諸島)の先史時代の遺跡には、縄文・弥生文化の影響はみられず、フィリピンやインドネシアなどの南方の影響が多くみうけられます。おそらく、沖縄と宮古間の海が日本文化をたちきる溝となっていたのでしょう。

●縄文時代相当期

 この時期の遺跡からは土器や石器が見つかっています。土器は下田原(シモタバル)式土器とか赤色土器とよばれる赤褐色の厚手の物で、文様のないものが主流でした。石器は刃の部分だけが磨かれているもので、同様の物が奄美・沖縄諸島から出土していないことから、そのルーツは東南アジアにあるとされています。

●弥生時代〜平安時代相当期

 この時期の遺跡は海岸近くの砂地に多く見られます。規模が大きいのが特徴で、八重山諸島を中心に宮古島までおよんでいました。石斧(せきふ)や貝斧(かいふ)などが出土していますが、土器の出土がないことから、先島では土器を使用する文化が途切れていると考えられています。また、石斧としては不適切なシャコ貝製の貝斧は奄美・沖縄諸島や九州にも類例がないことから、東南アジアや南方の島々から運ばれたものと考えられます。時代は紀元前約2500年〜紀元後10世紀ごろまでとされます。


パナリ焼土器


貝斧


石斧



戻る 進む