先史沖縄/新石器時代の先島 2/2

■貝の道

 沖縄や奄美をふくむ南西諸島は美しい珊瑚礁で形成されており、豊かな海産物に恵まれていることから、斧やナイフ、首飾りなどの貝製品が多く用いられていました。
 沖縄産の貝や貝製品は黒潮に乗って北上し、今から2000年前の弥生時代の日本本土にもたらされました。それが「貝の道」といわれるもので、そのルートは、南西諸島から北上して北部九州から瀬戸内海をぬけて近畿地方にいたる道と、玄界灘(げんかいなだ)を経由して日本海沿岸にいたる道がありました。
 近年、南海産の貝で作られた装飾品が北海道からも発見され、その道のりは2000kmにもおよんでいたことが分かりました。北部九州へはおもにゴホウラ貝・イモ貝がもたらされ、そこで装飾品に加工されて全国に広められました。
 この時代に、南西諸島と九州をむすぶ雄大な交易にたずさわる人々がいたことは、弥生時代が経済の安定と分業を可能にしていたことを裏付けるといってよいでしょう。
 「貝の道」は、弥生時代から古墳時代へと引きつがれ、約800年にもおよびました。古墳時代には日本本土へもたらされた貝の種類も増え、沖縄の人々はそれと引きかえに穀物や金属器・布などを手に入れていたようです。


貝の道



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