歌・三線と琉球舞踊

 三線(サンシン)は、15世紀から16世紀前半に中国よりもたらされたといわれている。その後、貴重品であった三線は上流の士族によって演奏され、普及していく。ことに歌に合わせる伴奏楽器として見た場合、オモロや琉歌の素養の高い貴族や士族の高級な趣味となった。16世紀半ばには三線ブームがおこり、日本へ伝わることになる。17世紀末には遊女たちにまで行きわたり、湛水親方(たんすいうえーかた)によって沖縄の三線音楽の基礎がつくられた。18世紀の初め玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)により組踊冊封使の前で初上演されたことで、三線は御冠船踊り(ウカンシンウドゥイ)になくてはならない楽器として位置づけられた。
 琉球舞踊の音曲を担当する人々を地謡(ヂウテェー)と言い、歌・三線、琴、笛、胡弓、太鼓などで構成される。踊り手と地謡の呼吸がひとつになったときにはじめて良い舞台が創られ、生の演奏にのせて踊る舞踊ほど贅沢なものはない。

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琉球古典音楽の完成 口説と琉歌
地謡の構成と楽器

写真:砂川敏彦/沖縄県立博物館