琉球古典音楽の完成

 琉球古典音楽の曲数は、現在230曲あまりが『工工四(クンクンシー)』に収録されている。15世紀から16世紀にかけて中国から伝わったとされる三線は、上流士族のオモロ楽人によって弾かれ琉歌などが歌にのせられ士族から庶民へと普及していく。
 そして湛水親方(たんすいうえーかた)によって、沖縄の古典音楽の基礎がつくられる。その後玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)によって組踊に歌三線が取り入れられ、冠船芸能になくてはならない楽器として定着した。
 湛水親方から弟子の沢岻良沢(たくしりょうたく)、新里朝住(しんざとちょうじゅう)、照喜名聞覚(てるきなもんがく)、屋嘉比朝寄(やかびちょうき)と受け継がれ、知念積高(ちねんせきこう)から、その高弟で現代2大流派の祖である安冨祖正元(あふそせいげん)と野村安趙(のむらあんちょう)へと続いた。

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琉球王国交易ルート琉球王国交易ルート1琉球王国交易ルート2
 

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写真:砂川敏彦