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祝宴の座開きに演じられる踊り。御冠船踊り(ウカンシンウドゥイ)の一つとして「老人祝聖事(ロウジンシュクセイノコト)」や「老人老女」という演目名で、国王や国賓(冊封使)の前で荘重に踊られた。翁(オキナ)と媼(オウナ)が子や孫を従えて、子孫繁栄と長寿を祝い、神々や国王に祈りと感謝をささげた。 |
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琉球舞踊のなかでも祭祀舞踊の面影を残し、元服前の少年たち(若衆)によって踊られる。将来大成するであろう若者の幸先を祝う、予祝的な内容の舞踊である。若衆とは、首里王族の次男、三男が15、16歳頃まで首里城に仕え、奉公し、御冠船踊り(ウカンシンウドゥイ)を踊った少年たちのことである。華麗で女性的な衣裳に身をつつんだ若衆たちの優雅な舞は、冊封使(サッポウシ)たちの目を大いに楽しませたという。しかし、現在残っている若衆踊りは数演目しかなく、琉球舞踊の本質をかいま見せる踊りだけに若衆踊り(ワカシュウドゥイ)のさらなる盛り上がりに期待したい。 |
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二才踊り(ニーセーウドゥイ)とは若者が踊る男踊りである。1719年に二才踊りの原型といわれる棒踊りが上演されたとの記録はあるが、まだ完成されておらず舞台へ登るのは女踊りよりも遅かったようだ。七五調の「口説歌」という大和芸能の流入が琉球独自の口説(クドゥチ)を生み出し、舞踊や音楽にもおおきな変化をもたらすことになる。キビキビとした勇壮で活発なあて振りは、男性士族や薩摩の役人たちには受けが良く、首里城内で薩摩在藩をもてなす時に必ず披露されたという。 |
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古典舞踊の中で唯一の打ち組み舞踊で、仮面を用い江戸上りや冊封使歓待の演目の最後に「御後段踊り」(ウグダンウドゥイ)として上演されたユニークな舞踊。 (詳しくはコラムを参照) |
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写真:砂川敏彦 |