第六代高等弁務官
 ジェームス・B・ランパート中将

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 高等弁務官のあらまし
 高等弁務官たち








第六代高等弁務官
ジェームス・B・ランパート中将
1969年−72年5月

【プロフィール】
1914年ワシントンD・C生まれ。
バージニア州陸軍工兵学校などで勤務後、フィージー諸島、ソロモン諸島航空部隊を経て第2次世界大戦中はルソン島攻撃、マニラ解放軍に参加。フィリピン第9軍団工兵隊の技術将校となる。戦争中、仙台、札幌に勤務し、ワシントンでマンハッタン計画(原爆製造計画)や米軍部特殊兵器計画の策定を手がけるなど、原子力の軍事利用と密接な関係を持つ。中将昇進とともに国防総省の副国防次官補になった。

【主な仕事】
復帰実現に向けて日米両政府の沖縄への介入が強まる時期である。
毒ガス撤去問題、B52爆発事故をきっかけとする「2・4ゼネスト(県民共闘会議)」を回避。VX神経ガスの撤去問題」の処理。
弁務官は沖縄の日本復帰を前提とした対応策を取るため、基地に関連する事故処理、基地周辺地域の治安・安全問題に対する住民の不満へ対応するなど、米国軍関係者が沖縄の日本復帰を円滑に受け入れられるための取組みを行った。

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