戦後沖縄/新生沖縄 1/3

■新生沖縄県の誕生

 1972(昭和47)年1月、佐藤栄作総理大臣はアメリカでニクソン大統領と会談をおこない、沖縄返還の期日を同年5月15日と決定しました。
 琉球政府は、復帰対策県民会議を主席の諮問機関として設置し、日米両政府による沖縄復帰対策要綱について検討を加えました。答申を受けた屋良朝苗(やらちょうびょう)主席はそのつど日本政府に要請し、最終的に「即時・無条件、全面返還」の主旨で「復帰に関する建議書」を作成、臨時国会に提出しました。しかし建議書提出のその日、衆議院による沖縄返還協定が強行採決され、国会で承認されることになりました。
 こうして1972(昭和47)年5月15日、27年間におよぶ米国の統治に終止符がうたれ、沖縄は日本に返還されました。この復帰は沖縄住民の希望するものにはほど遠い内容でしたが、沖縄に日本の国家主権が回復し、正式に日本国の国土に組みこまれることになりました。


本土復帰デモ

 新生沖縄県のスタートにあたり、日本政府は東京と沖縄で沖縄復帰記念式典をおこないました。東京での式典は日本武道館でおこなわれ、佐藤栄作総理大臣やアグニュー米国副大統領が出席し、ランパート高等弁務官らをはじめ約1万人の参列で新生沖縄県の誕生を祝いました。
 いっぽう、沖縄県でおこなわれた式典では、苦渋に満ちた屋良知事のあいさつがありました。それは、米軍基地をはじめさまざまな問題が持ちこされたままの復帰でしかなかったためです。
 復帰運動を推進してきた沖縄県祖国復帰協議会は、沖縄返還のその日、那覇市の与儀公園で5・15県民総決起大会を開催し、復帰に反対する決議を採択しました。いっぽう、復帰推進を掲げていた沖縄経営者協会らが組織する復帰祝賀県民大会実行委員会は、5月14日の夕方、那覇市内で県民大会を開催して復帰を祝いました。


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